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コラム 高木正勝 その1

 
 

魔術をおこなうのは私ではなく、
再現するのも私でない

 

CDについて

 
 
 

これで通算11枚目のアルバムになるようです。これだけ人に聴いてもらうのに躊躇いがあるCDは、2001年に出した処女作「pia」以来です。自分にしか分からない内容ではないか、そう思ってしまいます。そういう意味では、ようやく自分にとっての2枚目のアルバムが作れたのかも知れません。

「Tai Rei Tei Rio」は、2008年10月東京、12月岩手のコンサートでの演奏をまとめたものです。舞台では10名が各々の楽器を演奏しましたが、生演奏の小さな音を広い会場に響かせるのは難しい。客席にきちんと届くように、マイクで音をひろいスピーカーから鳴らして補強しました。CDに入っているのは、そのマイクが拾った音を、改めて自宅のスタジオで整えた音です。マイクの数は30本以上。10月東京公演は、ゲネプロと呼ばれる本番直前の通し稽古の演奏も録音してもらったので、計4公演の演奏記録がありました。どの回の演奏を選ぶか、というだけでも相当に悩みました。全く別の良さがそれぞれにありました。何をもって「音楽」とするのか、真剣に悩むと分からなくなるものです。結果、半年掛かりの気の遠くなるような作業になりました。

コンサートに来て下さった方には分かって頂けると思いますが、どれだけ精巧に録音して音を整えても、あの場そのものを過不足なくCDに収めるのは不可能です。会場があり、照明、映像、演奏者で彩られた空間があったのはもちろん、音と観客が共鳴した様までをCDで再現するのは困難どころか不可能に思われました。それに僕自身はピアノを演奏していたので、ピアノを弾きながら聞いていた音しか知りません。

おそらく、このCDから流れる「音の感覚」というのは、コンサートに来て下さった観客の記憶とも、演奏者それぞれの記憶とも違っていると思います。そして、実は僕があの場で演奏しながら聴いていた印象とも違います。はじめは、自分が聴いていた通りの音に仕上げようと躍起になっていましたが、あらゆる手を尽くしても音が爆発してしまうだけで、とても聴けたものには仕上がりませんでした。そこで、やり方を変え、(演奏中がそうであったように)私心を捨て、一つ一つの音が出てきた元の場所を紡いでいくようなイメージで音を整える事にしました。元の場所と言っても、演奏者という意味ではありません。誤解を恐れずに言うと、演奏者の後ろにある大きな源。空想と言ってしまえばそれまでですが、そんな不思議な場を確かめながら、そこと音をきちんと紡いでいくような、そんな作業を繰り返しました。曲の意志が曲そのものを作り上げていく、それをただ助ける、そういう不思議な作業でした。エジプトの魔術師の言葉に『魔術をおこなうのは私ではなく、再現するのも私でない』とありますが、出来上がったCDを改めて聴き直すと、タイ・レイ・タイ・リオとは、そのようなものであったと痛感しています。

音量は市販されている他のCDと比べると非常に小さいです。いつも通り音量を上げようとも考えましたが、CDが持っている音空間には限りがあって、音量を突っ込むと空間が埋まってしまい、空気感がどんどん削られていきます。あの手この手を尽くした挙げ句、今回は家で仕上げたままの音で世に出す事にしました。この決断にも長い時間が掛かりました。普段の音量で聴くと物足りないと思われますので、是非、音量をあげて聴いて下さい。

コラム 高木正勝 その2

 
 

地と血を紡ぐ

 

コンサートについて

 
 
 

2008年初夏、「Tai Rei Tei Rio」の構想を本格的に練り始めました。飛び込んできたのは「日本」。「日本」に足をつけた「日本人の音楽」がやりたかった。意気込んでみたものの、何を以て「日本の音楽」と言えるのか、正直なところ、よく分かりませんでした。雅楽や能などの古典に耳を傾ければいいのか、そう自問した時、僕には何か少し隔たったものを感じました。

「日本の音」を思い浮かべる時、僕の頭には「わらべうた」や「祭り」がまず思い起こされます。それらは各々の土地で豊富なバリエーションを誇っていて、どれもがその土地と深く結びついた何かを感じさせるものです。土地が育んだ音であり、先祖代々流れる血が運び出した音です。こういう音は、近年量産されている数多の音楽とは少し違った響きを内に秘めているように思います。沖縄の軒先で唄われる三線の響き、バリの寺院で奏でられるガムラン、アトラス山脈で農作業に没頭する娘たちの唄、サハラ砂漠で満点の星空にこだました太鼓の音色。世界を旅する中、骨の随までしびれた、それらの音体験を思い返すと、不思議な共通点があります。それらの音を現地で聞くと、耳の内の内側まで入ってくる様な奇妙な感覚を覚え、目の前で演奏しているのに何処か遠くの方から届いてくるような、不思議な聴こえを味わいます。そんな空間の広がりと共に、根の如く広がる奥深さを同時に味わいます。唄い手に流れる長い歴史を伴った血や想い。それらがまるで大気や大地と共鳴しているような響き。そこには唄い手や演奏家の顔は、もはや存在していません。ただ音が大気に溢れて包み込む。

自分がやるべきは、こういう音楽なのだと思いました。自分に流れる血や生まれた土地に全身全霊を預けられたなら、その時、紡ぎ出される音が、僕が追い求める「日本の音楽」なのだと。それであれば、使う楽器は何だっていいのかもしれない。色んな人の協力を経て、集まった10名の演奏家。曲はまだ出来ていなかったので、どんな楽器が最適なのか分かりませんでした。実際にお会いして、それぞれに何がやりたいのか説明しました。どれだけ言葉を重ねても伝えられる自信はありませんでした。恐れずに、次のように伝えました。「自分の後ろにいる守護霊とか、そんなものをステージに連れてきて下さい。そういうものが演奏する事で立ち上がったら多分成功です。」我ながら、ぎりぎりな伝え方です。舞台、照明、音響、収録などのスタッフにも同じように伝えました。「何をやってもいいです。ただ、そういうものを連れてきて下さい」と。細かく指示はしませんでした。少なくとも日本人ならきちんと通じると思ったからです。

皆が集まれるのは本番直前の数日間だけ。それまでに曲を作って共有しておかなければなりません。自宅に籠って曲作りを始めましたが、想いばかりが先行して思うように曲が生まれません。そこで、部屋の窓を開け放って、ピアノの前に簡単な録音機を置きました。演奏中はずっと録りっ放しです。まず、少し音を出して、その音をきちんと追います。壁、天井、床が共鳴しているのが分かります。そうなると部屋を演奏している気持ちになります。庭に生っている木の実を食べにきたのでしょう、鳥が沢山集まってくるので、そちらにも感覚を伸ばします。通りから聴こえるおばさんたちの声にも伸ばして、、音の届く限り感覚を伸ばし続ける。土地そのものを演奏している感覚。次に身体へ。指から腕へ、血に、血の奥の奥の方に感覚を伸ばす。そうすると、思いがけなく、曲が生まれてきました。中近東のような響きや、北アジアのような調べ、南の島々の感覚が音になって紡ぎ出されました。もはや、日本の姿は島国ではなく、先祖が歩んできた故郷に繋がる「大きな日本」に姿を変えて身の内に形作られました。

リハーサルは本番直前の4日間。東京の貸しスタジオに集まって猛特訓しました。流石にはじめは全員が混乱していました。殆どの人がお互い初対面です。一応、曲のデモは前もって渡してありました。「最低限、こういう風に演奏すれば曲としては成り立ちます」といった簡単なデモと楽譜を配りました。それを元にまず曲の流れを皆で掴みます。曲は至ってシンプルです。基本的に一曲に対して一つの音階が定められているだけです。例えば、Ana Tengaという曲だと「Gメジャーの音階であれば何を演奏しても構いません」と伝えます。「即興で構わない」という事です。言われた側は困りますが、練習を繰り返す中でそれぞれの楽器に適したメロディーが自然と紡ぎ出されていきます。音階とは別に、その曲で立ち上げたい「気配」も説明します。先ほどの曲だと「発した音をどんどん空間に溜めていって、最終的に音で空間に穴を開ける」そんな説明をしました。いつもそうですが、演奏者が「こういう事だったのか」と気付くのは本番か終わってからです。それまでは、何か解らないまま何とか食らい付くのが精一杯で、本番はそんな事を考えている余裕はありません。音が自立的に作り出す「大きな波」に乗っては溺れ、乗っては溺れを繰り返しているうちに曲が終わり、コンサートが終わりました。

今回は、映像の記録も残しました。「或る音楽」というタイトルのドキュメンタリー映画になっています。舞台や照明の様子は是非、そちらでご覧になって下さい。

コラム 高木正勝 その3

 
 

「山と少年と唄」


 


彼らが開く音楽のコンテストなら面白い。晴天の下、挑戦者は向こうにそびえる山々に向かって音楽を奏でます。技術や技量を競うのではありません。音楽を判断するのは人間ではないからです。判定は、山がくだします。これが中々に手強い。挑戦者は思いの丈、生きる力を振り絞って、音を奏でますが、山は、うんともすんとも言いません。いよいよ、少年の番が回ってきました。彼の中には、深い悲しみがありました。「あなたは私にたくさんの命を与えます。私はもらうばかりで、与えるものが何もない。せめて、この身体を与えたい、とも思いますが、私の命は生きろと言います。せめて、あなたを楽しませたい。どうか、聞いてやって下さい。」少年は、山が楽しんでくれることを想い、唄が身体から溢れ出しました。永遠とも一瞬とも思える時間が流れました。辺りが静まり返った頃、山が、山々が、ろうろうとした、素敵な調べを少年に送り返しました。集まった人々は、その年のチャンピオンになった少年と共に、夜が明けるまで祝い続けました。

高木正勝
 

コラム 高木正勝 その4

 

「回想」


関わった人たちについて




このプロジェクトには、沢山の人が関わっています。僕は決して中心ではなく、祭りに参加する一人として関わりたかった。僕の役割は、祭りの流れを用意すること。関わってくれた人たちに伝えたのは、「自分を自分足らしめるものに恥じない仕事をして欲しい」、ただそれだけでした。細かな要望は、あまりしませんでした。大雑把で抽象的なことしか伝えませんでしたが、一人残らず素晴らしい仕事をしてくれました。簡単ですが、関わってくれた主な方々を紹介したいと思います。



●共演者


田口晴香(ヴォーカル)

初めて歌ってもらったのは、2004年頃でしょうか。それ以前から知り合っていましたが、こんなにいい歌声を持っているとは知りませんでした。地声と歌声の印象が変わらない人が好きですが、そう出会えるものではありません。ことあるごとに歌ってもらっていますが、歌う度に変化があります。今回も「Ana Tenga」などで新しい試みをしていて、こんな歌い方も出来るんだと、いつもながら驚かされました。包み込みながら芯を突き刺すような強さのある声です。「Elegance of Wild Nature」や「Tai Rei Tei Rio」は、本来もう一人女性の声が必要でしたが、見事に一人で出し切ってくれました。彼女は自分でも曲を作っていて、2006年の「Private/Public」では「Spiral」という曲を一緒に演奏させてもらいました。音楽を本職にしていませんが、音楽に愛された人だと思います。


ヤドランカ(ヴォーカル、サズ)

2002年にシンガポールに登場したエスペラナーデという劇場のオープニングで共演したのが出会いでした。彼女が一歩突き抜けると皆が思い切って後に続いていける、というのはよくあることで、非常に助けられました。母のような存在です。ヤドランカさんの素晴らしさの一つは、即興ができること。それも的確な即興。作曲と同じクオリティーの即興が出来る人はそういません。彼女の歌うパートには、殆ど全く指示を出しません。自由になった時に、自分が居るべき場所を自ら作れる人です。リズムが弱いと感じれば、口でパーカションの音を奏でますし、メロディーが弱ければ、自分で新しいメロディーを編み出して補強していきます。「Philharmony」での言葉が音楽になっていく様には驚かされました。


松平敬(ヴォーカル)

本番直前のリハーサルまでお会いする時間がなくて、どんな結果になるのか、さっぱり分かりませんでしたが、心配は彼が声を出した瞬間に吹っ飛びました。とにかく、歌い方の幅が広大。数日では、とても掴みきれない。リハーサルの間に聞いた歌のバリエーションは、もはや覚えておりません。そして本番、共演者の誰もが思っていなかった素敵な歌が沢山飛び出しました。今回、初めて男性の歌い手とコンサートで共演させてもらいましたが、今まで足りなかったものを一気に運んでくれた気がします。掴めそうで掴めない奥深い歌声は、彼の人柄そのものでもありました。「Ana Tenga」や「Laji」を聴いてもらえれば分かりますが、彼もヤドランカさんと同じく、即興がとても面白いです。「Watch the World」「Tai Rei Tei Rio」で見られるように、柔らかさと勇ましさを兼ね備えた歌声。特に「Omo Haha」で皆を導いた、あの風のような歌声が聴けて本当によかったです。


熊沢洋子(ヴァイオリン)

ジプシーのようにヴァイオリンが弾ける人、ということで紹介してもらいました。弦を押し込んで弾くのではなく、撫でるように演奏しているのが印象的でした。オープニングの「Homicevalo」は、当初、演奏せずに映像だけ流そうかと悩んでいましたが、リハーサルの間に彼女から率先して色々と思案してくれました。ホテルに帰って何度も映像を見てくれたようです。皆のリハーサルが終わった後、スタジオに居残って少しずつ作り上げていきました。普通ならヴィブラートをかけて音を響かせるところを、真っ直ぐ、ぎりぎりの力加減でシンプルに奏でた音色には心底驚かされました。生きもののような、安定に甘んじない、固定されない音色。エンディングの「Naraha」で、再びピアノとヴァイオリンの掛け合いをするのですが、物語を紡ぐような、はじまりと終わりを紡ぐ素晴らしい演奏でした。


金子鉄心(イーリアン・パイプス、ソプラノ/アルト・サックス)

イーリアン・パイプスというバグ・パイプの小さな感じの楽器を愛でるように鳴らす鉄心さん。その姿がコンサート全体に落ち着きと尊厳をもたらしてくれました。デモを作っている時から、果たして、どうこの楽器を扱えばいいのか分かりませんでしたが、「ああ、この感じ!」としか言いようのない、出会いたかった彩りを運んでくれました。まるで、鳥が甲高く鳴いて飛び立っていったり、草原に風を投げかけるような。「Ana Tenga」での黄金の鳴り、「Tai Rei Tei Rio」のねじれるような唸り。パイプの他にサックスも演奏しています。「Tidal」や「Elegance of Wild Nature」に凛とした深遠な奥行きを。「Omo Haha」では笛の音で知っている場所へ連れ戻してくれました。


ヤマカミヒトミ(フルート、アルト・フルート、ソプラノ/アルト・サックス)

普段やっていない世界へ引きずり込もうと、あの手この手で悩ませました。「壷から蛇が出てくるようにフルートを吹いて」なんて、思いつきで言われた日には困ります。「Laji」という曲は彼女の独断場です。彼女が行ける所まで行こうとする様には勇気づけられました。そして、本番では吹っ飛んでくれて、凄いことになりました。彼女がフルートを吹くと、何故か陽の光が差し込んでくる気がしてきます。演奏する度に「ちょっと分かってきた」と嬉しそうに伝えてくれ、どんどん分からない方へ向かって行こうとする姿を見るのが何よりの楽しみでした。「Elegance of Wild Nature」の後半も鬼気迫る演奏です。鉄心さんと同じく、フルートの他にサックスも演奏しています。「Tidal」での鉄心さんとのミニマルな掛け合いも聴きどころです。


OLAibi(パーカッション)

2006年の「Private/Public」で出会いました。太鼓で歌える希有な人です。彼女の叩き方は独特で、見られた方は分かると思いますが、本気で叩いてるのを見ていると、いつ叩いたのか、どうやって叩いたのか、よく分かりません。独特のリズム感を持っていて、おそらく本人はリズムと思っていなくてメロディーだと思っている筈です。「WAVE」以降の激しい曲は、彼女がリードしてくれて、僕は彼女が紡ぎ出す音の波を横で感じながら、それを頼りにピアノを弾いていました。彼女が叩くと、ぐわんぐわん空間がよじれます。今回の「WAVE」では波と雷を一人で生み出し、「Tai Rei Tei Rio」では、馬が駆けるような地響きを生み出してくれました。静かな「Omo Haha」や「Naraha」などで、下から威厳のある音を鳴らしているのは彼女です。


佐藤直子(パーカッション)

神社を訪ねたときに味わう突き抜けた空気を生み出せるパーカッショニストです。彼女が叩くと矢のように真っ直ぐ音が飛んでいきます。叩く姿も凛としている。「Ana Tenga」「Tidal」の怒濤の太鼓は、もう一度、生で聴いてみたいです。特に「Ana Tenga」は彼女の持ち場だったので、彼女自身どこまで行けるのか、面白がって臨んでいました。「WAVE」の後半に出てくる迫ってくるような太鼓も聴きどころです。「Laji」の壷は、回を追う毎に変化して、フルートのヒトミさん、OLAibiの太鼓と、どう絡み合うのか、他の皆は毎回楽しんでいました。映画「或る音楽」の方の「Tai Rei Tei Rio」で聴けますが、曲の始まりで予定に無かった手拍子をしだしたので、皆つられて笑いながら楽しめました。現在、はじめての自分のアルバムを制作中とのことで、どんなものになるのか非常に楽しみです。


沢田譲治(コントラバス)

音が、とても深い。コントラバスで様々な音色を出してくれています。ヤドランカさんや松平さんと同じく、放っておくと何かやらかしてくれます。「Laji」の始まりから聴こえる低いパーカッションのような音、バラフォンも独自に楽器を用意して演奏してくれましたし、激しい曲では、ベースを叩いてパーカッションをやっています。コントラバスが独特の響きで、特に「Tidal」のコントラバスの唸りは、全く予想していなかった部分で、聴く度にしびれました。「Ana Tenga」や「Tai Rei Tei Rio」では、彼の低音が曲の方向を定めています。パーシモンホールでの最終日、『今日の「Omo Haha」は上手くいった』と言われたのですが、実は、彼の間を突いてくる演奏に持っていかれて、とにかく振り落とされない様にピアノを弾くのが精一杯で。まるで馬に乗っている気分。一体何だったのか判断できなかったのですが、ミックスをしながら改めて演奏を聴いてみると『参りました』と思いました。行ける所まで連れて行ってくれました。流石です。




●スタッフ


近藤一弥(アート・ディレクション、デザイン)

2006年「Private/Public」からコンサートのチラシやCDのデザインなど全面的にお世話になっています。「Tai Rei Tei Rio」の印象的なテキスタイル風のデザインも近藤さんによるものです。僕は最初の思いつきを伝えただけです。「島国をはみ出した日本地図」「織り物」「赤」。はじめて今回のデザインを見せてもらった時は戦慄が走りました。コンサートの全てのイメージは彼のデザインで定まったようなものです。共演者に会って趣旨を説明する時も、デザインを見せて「こういうのを音楽でやりたい」と説明したのを覚えています。彼のデザインには言葉には出来ない、物事を引っ張っていく力があります。彼との打ち合わせは、毎回壮絶です。とにかく細かい所までこだわって限界までやり抜きます。見た目はもちろん、手触りまで。そして思ってもいないアイデアがどんどん飛び交って収集が付かなくなるくらいまで膨らみますが、最終的に出てくるデザインはとてもシンプルです。「Tai Rei Tei Rio」のCDには文庫本が付きますが、CDも本も敢えて定型に沿うことを心がけました。普遍的になっているモノの形は、やはり抗い難い良さがあります。そして、奇抜なデザインをするより断然に時間が掛かり苦難の連続でしたが、彼のこだわりで、品格のあるものになりました。今回のCDと本は沢山触ってボロボロになった頃、また違った良さが出てくるんじゃないかと個人的に楽しみになっています。


福田孝明(舞台監督)、尾崎聡(テクニカル・マネージャー)

「Private/Public」で舞台監督を務めてくれた尾崎さんは、本番当日、海外の仕事で居合わせられなかったので、途中から福田さんが引き継ぎました。尾崎さんはダムタイプやノイズムなどのダンス・カンパニーとも仕事をしているので、コンサートを固定観念なしで扱えて、斬新なアイデアを出してくれます。福田さんは初対面でしたが、彼の切羽詰まった先の先にまで突き進もうとする細部へのこだわりが、あの舞台の緊張感を作り上げたと思います。彼らにも大ざっぱな意見しか伝えていなくて、「洞窟のようにして欲しい」「祭壇のイメージ」など無茶な提案を伝えていました。パーシモンホールは舞台が広大です。何もない状態が非常に美かったので、空間を活かして欲しいと提案してありました。問題がひとつありました。映像が流れるシーンと映像が流れない音楽だけのシーンがあって、そこがいつも問題になっていました。映像をメインに考えて舞台に大きなスクリーンを常設してしまうと、映像がないシーンではスクリーンだけが残って無様になりますし、照明の演出も限られてきます。最終的には、スクリーンが現れては消えるシンプルで荘厳な舞台に仕上げてくれました。


林健司(音響チーフ)、吉村卓宏(音響)

林さんが会場の音響PAを、吉村さんが舞台上の演奏者のモニターを調整してくれました。演奏者の側にはスピーカーが置いてあって、そこから聴こえる音だけが頼りになります。必ずしも会場でお客さんが聴いている音と同じではありません。今回は、全て生楽器、しかも音量差の激しい組み合わせだったので大変だったと思いますが、見事に気持ちよく演奏に集中できる環境を作ってくれました。会場PAの林さんには、センターにスピーカーを置いて欲しいと提案してありました。今まで何かのコンサートを見に行くと居心地が悪くなる時があって。それは、真ん中で演奏しているのに左右のスピーカーから音がやってくるという違和感でした。きちんと演奏者から音が鳴ってお客さんに届くように、舞台真ん中にスピーカーを置いてもらって調整してもらいました。映像作品の「NIHITI」を流すシーンでは、会場全体が音の振動で揺れるように色んな工夫をしてもらいました。CDのミックス時には、林さんと綿密なやり取りをさせてもらって、二人で少しずつ完成を目指しました。彼が自由にミックスしてくれたものと僕のミックスをメールでやり取りしながら聞き比べて、よりよいミックスとは何かを探ったり、彼が整えてくれた音を僕がさらに整えたり。半年掛かりましたが、成果はCDに現れていると思います。


高田政義(照明デザイン)、小川順也、山下恵美(照明)

今回のコンサートは照明による演出の効果が非常に大きかった。演奏と同じくらい重要だったと思います。高田さんに伝えたのは「灯籠やロウソクのように揺らめく灯り」「祭壇」「稲光や閃光」など。リハーサルの時、照明を見せてもらって吃驚しました。照明で感動したのは初めての経験だったかもしれません。時には洞窟のような、強烈な光が飛び散ったかと思えば、朝日が射してくるような暖かさを肌で感じるような、体内に入り込んだような光の演出が次々と生み出されていました。客席からの眺めも素晴らしかったですが、舞台上で感じる照明も全く別に素晴らしくて、それらは演奏に著しく影響を及ぼしました。これほど、演奏をしていて幸せだった照明もありません。


吉田佳弘(映像エンジニア)

吉田さんは、僕が渡した映像を的確に舞台に映し出してくれました。大きなスクリーンに映像を映す経験は沢山ありますが、満足のいく結果になるのは稀です。少しでも色味が落ちたり、ぼやけたりすると、それだけでコンサートの全てが崩れるくらい映像の投影は重要です。どのような形式の動画を扱うべきか、どのプロジェクターを使うべきか、何度も検討、調整をしてくれた結果、強烈なイメージが舞台に浮かび上がりました。粘りに粘ってミリ単位の位置調節、全ての色を逃さない様に臨んで下さった結果です。リハーサルの時、関係者以外誰もいない広いホールで「NIHITI」の映像を大スクリーン、大音量で鑑賞しましたが、あれ程、映像を見て感動した経験はありませんでした。


堀内求 (制作)

共演者を集めてくれたのは堀内さんです。日本で変わった楽器を扱える奏者と沢山知り合っています。紹介して下さった演奏者とは初対面でしたが、見事に的確なキャスティングでした。会った瞬間から「何が何でも一緒にやりたい」と思える人ばかりでした。彼の人徳がなせる技です。実は、堀内さんはコンサートに少し参加しています。舞台裏から「声」で参加してくれていました。「Lava」で一緒に歌ってくれています。とても豊かな低い声の持ち主です。


久保風竹、新由紀子(広報/プロモーション)

いつも本当に感謝のしようがないのですが、裏で一生懸命働いている方々の力がなければ何も成り立たないのです。表舞台に立つと出演者など見える部分だけがクローズアップされますが、裏に居る人が実に全体を支えています。一人でも欠けると成り立ちません。久保さんはコンサートが終わってからも、雑誌のインタビューなど広報全般の調整に力を入れ、大切なものがきちんと届くように、零れ落ちないように全力で走り回っています。


信田眞宏(映画「或る音楽」プロデューサー)

昔からお世話になりっぱなしで、いつになったら恩返しが出来るんだろう。今回、信田さんは、プロデューサーとして映画「或る音楽」の制作を統括して下さいました。僕は彼の口から否定的な言葉を聞いた記憶がありません。問題が起こっても、他人の意見を否定しません。「とてもいいね。おもしろいね。他に、こういうのはどうだろう?」と柔らかな口調で、混乱した現場にその先にあるものを気付かせます。映画が、あるべき姿に落ち着いたのも、そういう細やかな気付かれない一言の積み重ねのお陰だと思います。制作の終盤、映画のタイトルがなかなか決まりませんでした。信田さんは、時間を掛けて、監督から映画への想いをゆっくり引き出し、最終的に「ある音楽」という言葉を導き出しました。すぐさま、信田さんの提案で「ある音楽」から「或る音楽」に落ち着きました。これ以上ないタイトルです。


友久陽志(「或る音楽」監督、映像収録ディレクター)、志田貴之(映像収録カメラマン)

コンサートを映像で残したい、というのがまずありました。当初は、気楽なもので、いわゆるコンサートDVDなどの形で出版できればいいなと考えていました。「普通の記録はいらないから、とらわれずに好きに撮って欲しい」とだけ伝えてありました。それが、知らぬ間に「映画」として仕上がってしまうとは…、今でも不思議です。友久監督とカメラマンの志田さんは、コンサートはもちろん、リハーサルの時から付きっきりで撮影していました。間の取り方が絶妙で、撮られているのに気付いていませんでした。僕の住んでいる環境も撮影したいということで、友久監督を3泊4日、色んな場所に連れ回しました。京都にある自宅周辺の山、和歌山にある別宅周辺の海を二人で動き回りましたが、天候や状況に恵まれて、普段味わえない奇跡のような特別な時間を過ごせました。和歌山の真っ暗な海を前に、二人で見上げた満点の星空、流れ星が横切った時には「凄い映画になるかも」と思ったと同時に「なんでこんな夜に一緒にいるのが…」とお互い笑ったものです。映画の途中経過は出来るだけ見ないつもりでしたが、コンサートの演奏部分の音をミックスしなければいけなかったので、何度か編集途中のものを見させてもらいました。そこにはいつも、何か分からないものに歓びをもって立ち向かって行く監督の背中がありました。「Tai Rei Tei Rio」のコンサートで出演者、スタッフたちが音楽に対して真摯に立ち向かったように、友久監督も映画に対して真正面から真摯に立ち向かった。まるで音楽そのもののような、何かを確実に奏でている凄い映画です。僕は、とてもとても素晴らしい映画に仕上がったと、こんな映画は滅多に作れないと誇りに思っています。そして大切なのは、やはり、立ち向かった人の「行い」そのものだと映画を観て、改めて思い知らされました。道に迷った時、立ち帰るべき場所を教えてくれる、僕はそういう風にこの映画とこれから付き合っていくのだろうと思います。


石倉敏明(文庫本「タイ・レイ・タイ・リオ紬記」監修・編纂)

映像「Homicevalo」を一緒に制作して以来、その後の作品に多大な影響を与えてくれた石倉さん。多摩美術大学にある芸術人類学研究所で、日々根源的なものに向かって考え実践しています。ことあるごとに彼に相談をしていますが、いつも漠然と的確なヒントをくれます。自分では絶対に探し出せない資料ばかり、惜しみなく届けてくれます。彼なしには、映像の「Homicevalo」と「NIHITI」、コンサート「Tai Rei Tei Rio」という流れはなかったと思います。博識な方ですが、知識を押し付けることはしません。古代から人間が持ち続けてきた、深淵に潜む純粋で優しい、世界との接し方。いつの間にか気付かせてくれました。CDが仕上がりかけた時、彼の協力、存在を、どうにか形として残したくなりました。曲の簡単なイメージだけを石倉さんに伝え、彼独自の視点で世界中の神話を集めてもらって、文庫本を作ることになりました。沢山の話が収録されていますが、簡単に集められるものではありません。彼にしか出来ない仕事でした。手に取ってもらうと伝わると思いますが、近藤さんのこだわりのデザインと相まって、とにかく愛おしい本になりました。音楽と神話の絶妙なハーモニー。どこにも固定されない、どこまでも広い。CDを聴きながら本を読むと、もはや自分がどこにいるのか分からなくなります。ぼろぼろになるまで、末永く読んで下さい。


エピファニーワークス、林口砂里、伊豆牧子、堀越郁江(主催、企画、制作)

活動を始めたスタート地点から10年近く、全ての仕事を一緒にやってもらっています。最近はエピファニーワークス自ら企画を立ち上げることが多くなり、この「Tai Rei Tei Rio」「或る音楽」も見事に中心になって、最後まで一度もぶれることなく成し遂げました。本当の中心にいるのは、僕では全くなく彼女たちです。アシスタントの伊豆さんと堀越さんは、そこまでやらなくてもいいです、と言いたくなるくらい働くので、こちらも頑張らずにはおれません。ダンスが本業の伊豆さんは、本番前には出演者の身体をほぐして、この上なく自然な状態に整えてくれます。堀越さんは、とにかく直感力がずば抜けていて、彼女の意見を聞くと、自分がやろうとしていることは間違ってなかったと、迷いが吹っ切れます。そして、ほんとに最初の最初からずっと一緒に仕事をし続けてくれている林口砂里さん。砂里さんには、大体、いつも口から出任せ状態でアイデアを伝えます。今回も無自覚にまくしたてた僕の無茶な意見を上手く読み解いてくれて、こちらが気付かない間に全てを用意してくれていました。僕は、夢に描き続けてきたものを遥かに超える舞台に安心して立っただけです。こうしてコンサートが出来上がったりCDや映画になったり、結果として生まれてくるものがありますが、最初の最初にあった、すぐに消えてなくなりそうなものを本気で「形にしたい」と強く思う人がいなければ、何も生まれてこなかったと思います。集められた皆が安心して自分以上のものを発揮出来る、そんな最高の場を作る仕事。その仕事は、どんな作品よりも本質的に芸術そのものの姿だといつも感心しています。




最後に…

まだまだ紹介しきれていない沢山の方に支えられました。その想いはCDや本や映画となって残せたと思っています。最初に望んでいたように、タイ・レイ・タイ・リオは祭りになった。



高木 正勝



 

プロダクト


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