この映画の行く先を常に示してくれていたのは、映画の中に登場している数々の音楽であり、それらと向き合う高木さんをはじめとした音楽家たちの存在、そして彼らの肉体そのものでした。
彼らのほんの少しの身振りや表情の中に音楽は存在していました。
彼らの視線の先に何があるのかというよりは、その眼差し自体に意味があるように思いました。
これらのことは、撮影し編集するという過程の中で感じていったことであり、その過程自体が映画になっているように思います。
気付くと、映画の中に残っているのは、古く昔からあるような人間の行為や感情や風景、そういったものだけになっていました。
これは、音楽を奏でるという行為、または音楽を奏でるという仕事についての映画です。
タイレイタイリオというものを映し出そうとした結果たどり着いたのは、「人が動き、音がある」というとても単純な物語でした。